既に夜の11時半。

銭湯に行くために急いで家を出た。

ただ千円札1枚だけ持って、 入り口の痩せこけたおじさんに

「タヲル借りられますか?」 と聞くと、

おじさんはにやりとして 「在りますよ、石鹸とシャンプーは?」 と聞いてきた。

通りがかりに入ってきた好き者と思ったのだろう。

新客であれば、やはり少しは嬉しいのだろうか。

髪は石鹸で洗おうと思ったから、 「じゃあ石鹸だけ」 と、言ってお金を渡した。

おじさんはそろそろ店の後片付けに入るらしく 「出たらその辺置いといてくれたらいいや」 と言って、お釣りを渡してくれた。

タヲルは無料、石鹸が30円だから、 合わせて430円なり。

 

引き戸をガラガラと開けると、まず脱衣場、 天井は高い。

広さは20畳ほどだろうか、 とたんに、あの銭湯の独特の匂いに包み込まれ、

それは、体の隅々にまで一瞬にして染み渡る。

そしてこれは何時もの事なのだけれど、

果たしてこの脱衣場が、寒いのか暑いのか、 と言うことが、なぜか気になる。

この独特の温度と湿度は、たとえ服を着ていようがいまいが、

体にとっては十分許容範囲なのだけれど、 心が迷うのである。

寒い外から入ってきたときは、暖かい。

まだ乾いた裸の体にとっては寒い。

湯上りの熱ったからだには涼しい。

まだ湿った体に上着まで着込んだ時には、暑いのである。

だからその場所に至って、 心が迷う。

この幻惑が入場の儀式のようにさえ思えて来る。

 

この銭湯は、それほど立派な建物ではなくて、 古い建物であるから、

あらゆる部分が木製で、ひどく傷んでいる。

脱衣場の左の壁には、木のロッカーが1面に並んでいて、

松竹鍵工業製という文字が古い書体で小さく書かれている。

 

そのロッカーの上には、常連客達のシャンプーや何かが

洗面器や小さな籠に入ってずらりと並んでいる。

右側は女湯との仕切りで、1面が大きな鏡になっていて、

その仕切りの上の1番端の角に、男湯と女湯の両方の脱衣場から見える様にして、

古い20インチのテレビが置いてある。

 

こういう場所で日常的なテレビ番組が流れている様子は、

まるで、自分が外国人になったような感覚を運んでくる。

僕は今、ほんのりと日常をすり抜けているのだろう。

 

錆びついた体重計、ビニールのくたびれたマッサージ椅子、

小銭を入れて使うドライヤーなどが、全て風化寸前の砂細工のように佇んでいる。

天井の大きな3枚羽の風車はゆっくりと回っていた筈だが・・・ 今は回っていない。

 

寂びれた街の何処にでもある様な銭湯だが、 その名を「松の湯」と言うからには、

かつてこの銭湯を中心とした一帯は夜遊びの街だったのかもしれない。

あるいはその繁栄に肖ったのだろうか。

 

文化的価値などは、けしてだれも口にしないであろう。

ただ、公衆浴場振興会の横尾忠則氏のポスターが、 よれた状態で壁にぶら下がっている。

 

さて、何番のロッカーにしようか。

場所と高さも重要である。 23番ロッカー、5段あるのの上から2つ目。

ちょうどいい高さだし上下のロッカーは空いているから、

揚って来た時に人に気を使わずに済むだろう。

 

さっさと脱いだ服を放り込んで洗い場に入る。

湯気、温度、匂い、にじんだ光。

そして、戸を閉めるときのガラガラという音が 木魂となってボウと響くから、

この場所の広がりは実際の壁をはるかに通り越して、

ペンキ絵の彼方にまで届いている。

 

それぞれにシャワーヘッドのついた小さなカガミの前に、

小さな椅子を置いて座り込み、 洗面器に熱いお湯を汲んで何度か浴びる。

 

そして、その後はじめて、その小さなカガミの中の やはり小さな自分の姿を、

或るあきらめを持ってしみじみと眺めるのだ。

 

 

この裸の世界の右側半分は、常に女のものであり、

その存在は、彼方から響く、 にじんだ音でしか感じ取ることが出来ない、

男が知り得る事の出来ない世界でもあるのだろう。

 

この見事な比喩。ペーソス。センチメント。

その事を、これほどまでに痛切に感じさせる場所が、 他に在るだろうか。